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TITO JACKSON - - Interview : TITO...

2010/08/26

TITO JACKSON

TITO JACKSON


exclusive interview : TITO JACKSON

ジャクソン5、ジャクソンズの一員として音楽界に不滅の足跡を残すティト・ジャクソン。ブルーノート東京で弟マイケル・ジャクソンに捧げるステージを繰り広げた彼に、ジャクソン5時代のエピソード、マイケルへの思い、制作中の新作について、ティト・ジャクソンにお話を聞くことができました。

Q. 1
「ティト・ジャクソンが父親のギターをいたずらしたことから、ジャクソン5の歴史が始まった」という逸話があります。それをあなた御本人の言葉できかせていただけますか。

☆ TITO JACKSON (以下、☆TJ):
父はアマチュアのギタリストだった。彼はギターをとても愛していたので、他人が勝手に触ることを許さなかった。だけど僕はギターの音が大好きだったし、どうしても自分で弾いてみたくて、やがて父に隠れて楽器を触るようになった。ずっとそれは見つからなかった・・・・はずなんだが、ある日ギターの弦を切ってしまった。それが父にバレて、「私の目の前で弾いてみなさい」といわれた。僕は必死にプレイした。そのとき、彼は「オレよりもうまく弾けるじゃないか」と思ったみたいだね(笑)。次の日、自分用のギターを父と買いに行った。そのうち僕の演奏に合わせて、兄のジャッキー、弟のジャーメインが歌うようになった。僕が8歳の頃の話だよ。
マイケルは途中からグループに参加したんだ。彼は小学生の頃から、ものすごく歌がうまかった。僕らにショックを与えるほどにね。マイケルを入れたらグループはもっと良くなる。そう思った僕は早速、父親に(マイケルの参加を)提案したんだ。


Q. 2
ジャクソン5は1969年、名門モータウン・レーベルからメジャー・デビューを果たします。そのきっかけを教えてください。

☆ TJ:
ものすごく長い話になるから、かいつまんで言うと・・・モータウンの前に、僕らはすでにローカル・レーベルからシングル盤を出していた。そしてツアーもやっていた。シカゴ、フィラデルフィアと回って、最後にニューヨークのアポロ・シアターに出演して、テレビ番組の「ディック・キャベット・ショウ」で歌う話もあったんだ。だけどその日と、ベリー・ゴーディJr.(当時のモータウン社長)のオーディションの日が重なってしまった。ものすごく悩んだよ。「ディック・キャベット・ショウ」は全国ネットだし、それに出ればいろんな人の目に触れて、いろんなところからオファーが来るかもしれないと思ったからね。でも、僕らはゴーディのところに向かうことにした。オーディションを受けてみたら、彼は幸いにして自分たちのことをとても気に入ってくれて、ダイアナ・ロスのバースデイ・パーティにも招待してくれた。ゴーディのプール付きの家を貸した大パーティで、僕らは歌うチャンスを得た。マーヴィン・ゲイ本人の前で、彼の歌を歌ったんだよ(笑)。まだモータウンと契約していなかったのに、もうすでにファミリーになったような気分だった。だけど、あとで聞いたところによると、ジャクソン5を契約するにあたって、モータウン社内でも意見が分かれたんだってね。僕らはまだ未成年だったし、法規制、労働基準法が(大人の場合と比べて)厳しいからね。夜中に働くこともできないし・・・。ゴーディも迷ったみたいだよ。モータウンの未成年はスティーヴィー・ワンダーだけで十分じゃないかと(笑)。だけどスタッフがゴーディに僕らを強く推してくれた。「彼ら(=ジャクソン5)はサムシング・ディファレントを持っている。だからこのチャンスを生かすべきだ」ってね。そして最終的にモータウンのアーティストになったわけさ。

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Q. 3
インディアナ州生まれの少年たちが、たちまち世界的なポップ・スターとして名声を博し、多忙な毎日を送るようになりました。その状況の変化をどのように感じましたか?

☆ TJ:
楽しかった思い出しか残っていないね。毎日、ディズニーランドにいるようだったよ! 憧れのテンプテーションズ、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイなどがいるモータウンと契約して、ラジオをつければ自分たちの曲がガンガン流れてくる。素晴らしいとしかいいようがない経験をさせてもらった。当時、僕は14歳だった。普通の14歳だったら学校に行ったり友人と時間を過ごしたりパーティをやったりして楽しい毎日を送るだろう。でも、僕はそれを全然うらやましいとは思わなかった。僕たちは本当に音楽が好きだし、一生懸命仕事をして、それに見合うだけの成果を得ようと努力するだけだった。「自分から音楽を失うことはできないし、ずっと音楽を続けていく」と、その頃から強く思っていたんだ。


Q. 4
ステージでもプライベートでも、いつも兄弟一緒に行動していたとうかがっています。兄弟げんかが起きたときは、どうなさったのですか?

☆ TJ:
僕らは子供の頃から一緒にずっと仲良く暮らしてきた。男兄弟6人で3台の小さなベッドをわけあって育ったんだ。ジャクソン5のツアーには車を使ったんだけど、機材を積むスペースが必要なので、シートが取り払ってある。僕らに用意された場所は機材の隙間だ(笑)。みんな小さくなって、じっとしながら次のライヴ会場にたどり着くのを待つわけさ。1時間やそこらの話じゃないよ、8時間や10時間、移動が続くこともあるんだ!
そんな日々が続くと、自然にお互いをサポートしあうようになる。どう考えても争いが起こる状況にはならない。それに僕らは「ライヴをパーフェクトな状態にする」ことを常に考えていた。ステージを終えるとすぐホテルに向かい、シャワーを浴びて反省会をする。「今日はここがよくなかったから、次は完璧にやろう」。そういうディスカッションなら毎晩やったけどね。


Q. 5
ジャクソン5やジャクソンズの楽曲で、とくにお気に入りのものは?

☆ TJ:
ジャクソン5の頃では、やっぱり最初のビッグ・ヒットとなった「I Want You Back」だろうね。この歌がラジオから流れてきたときの感動は永久に忘れることがないだろう。ジャクソンズ時代に入ると、自分たちで曲を書くようになった。だから、どのナンバーにも思い入れがある。特定の曲には絞れないな。

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Q. 6
ステージではブルース・ナンバーも聴かせてくれましたが、昔からブルースが好きだったのですか?

☆ TJ:
もちろんさ。とくにB.B.キングが大好きだ。父も叔父もブルース・ギターを弾いていたし、僕のギター・プレイの最初の手本は彼らなんだからね。僕にとってブルースを演奏するのはとても自然なことなんだ。


Q. 7
マイケルさんに関して、あなただけが知っているエピソードがあれば聞かせていただけますか。

☆ TJ:
マイケルについてはいろんな話が世に出回っているので、「ここだけの話」はないね。ひとついえるのは、彼が自分の家族だけじゃなくて、どんな人にも常に愛情をもって接してきたということだ。他人が少しでもハッピーになれるよう、何かその人の人生に輝きをもたらすようなことをしてあげようとする心の持ち主だった。もちろん彼はずば抜けた音楽的な才能にも恵まれていた。それは神から与えられたギフトといっていいものだった。


Q. 8
ティトさんご自身のソロ・アルバムも制作中とうかがっています。

☆ TJ:
そうなんだ。もう完成に向けて動き出しているよ。アリシア・キーズ、ジョン・レジェンドなど今のサウンドを代表する人たちと、長い歴史を持つ僕とのコラボレーションが含まれている。ジャクソン5、ジャクソンズの頃とはまた違う、いま現在のティト・ジャクソンのサウンドを味わってもらえるはずだ。楽しみにしてほしいね。

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Q. 9
最後に、あなたのニックネーム「ティト」の由来について教えていただけますか?
☆ TJ:
実は僕にもわからないんだよ。本名はトリアーノというんだが、たぶんみんな発音しにくかったんじゃないかな(笑)。本当に幼い頃から、僕はみんなにティトと呼ばれていた。そして今も呼ばれているわけさ。