[インタビュー|OFFSTAGE]キャンディ・ダルファー&ハンス・ダルファーにインタビュー | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

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[インタビュー|OFFSTAGE]キャンディ・ダルファー&ハンス・ダルファーにインタビュー

[インタビュー|OFFSTAGE]キャンディ・ダルファー&ハンス・ダルファーにインタビュー

演奏と客席の一体感に涙があふれたよ。

 10月に14回目のブルーノート東京公演を行ったキャンディ・ダルファー。
ハンス・ダルファーと父娘共演で客席を巻き込んでのショウになった。
インタビューも父娘競うようにしゃべるエンタテインメントに。

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 10月のハンス・ダルファーとキャンディ・ダルファー父娘のショウは、大エンタテインメント。終盤、上手側からハンスが、下手側からキャンディが、客席に降りて演奏した。アルトサックスを演奏するキャンディが近づくと甘ーい香りがただよった。

 「今使っているパフュームはカーニバルというの。作っているのは、ガンズ&ローゼスやモトリー・クルーの衣装を担当しているデザイナーなのよ」

 一方ハンスは、カウンター席にいた美しいポニーテールの女性ファンをつかまえて、自分のテナーサックスを吹かせるパフォーマンスを展開。

 「僕は日本の美しい女性オーディエンスとのコミュニケートが楽しみでね。眼鏡をかけているのは、客席できれいな女性を見つけるためだよ。そもそも、僕は女性にもてたくてサックスを始めたんだ。若いころ、アムステルダムの街角でサックスを手に歩くアーミーコートの大男を見かけてね。実にイカしていた。あの瞬間、僕はサックス奏者になると決めたんだ。10年後ならギターを選んだと思う。ギタリストがモテていたからね。20年後だったら、キーボード奏者だね。今ならば、ラッパーかな」

 そんな父親の話を傍らであきれた表情で眺めるキャンディ。彼女のほうは、演奏する父の姿にあこがれてサクソフォン奏者の道を進んだ。

 「6歳の時にどうしてもステージに立ちたくて、パパを説得したの。そして、2週間みっちり練習したわ。ただし、パパから直接レッスンを受けたのは1度だけ。厳しくて、私が反発してしまったから。その後は、ほとんど独学でサックスを覚えた」

 父娘のその初共演は客席に歓迎されたと思った。

 「ところが、後日、最悪のレビューが雑誌に載ったの。ハンス・ダルファーは娘を家において来るべきだった―。そう書かれていた。あの記者のこと、一生忘れないと思った。そして誓ったの。絶対に実力のあるサクソフォン奏者になる! って。でも、記事のおかげで私は努力を重ねたし、こうして演奏を続けている。今は記者に感謝しているわよ」

 さて、キャンディは、ブルーノート東京でもっともコンスタントにショウを行っているアーティストの一人だ。今回の公演でなんと14回目を数える。

 「自分のバンドだけではなく、パパとやったり、メイシオ・パーカーとやったり。どのショウも大切な思い出よ。しかも、そのすべてに来てくれる人がいることにはびっくりするわ。ステージに上がると、目の前の客席には見覚えのある顔ばかり。お客さんの財布がからっぽにならないか、心配になるほど」

 ハンスも、キャンディ同様、ブルーノート東京の客層に毎回感激していると話す。

 「ブルーノート東京のオーディエンスは、エンタテインメント性の高い曲では盛り上がって、エモーショナルな曲ではじっくりと集中して聴いてくれる。今回もキャンディの『Lily Was Here』の時、客席がとてもいい雰囲気で、涙があふれてきたよ。みんな、音楽に敬意を示してくれる。素晴らしいよ」

live photo
CANDY DULFER(キャンディ・ダルファー)
1969年、アムステルダム生まれ。11歳で父親のバンドでアルト・サックスを披露。'84年に"ファンキー・スタッフ"を結成し『サックス・ア・ゴーゴー』が大ヒット。『ビッグ・ガール』 は父ハンス・ダルファーやデヴィッド・サンボーンと制作。
HANS DULFER(ハンス・ダルファー)
1940年、アムステルダム生まれ。愛称は"ビッグボーイ"。17歳でデビューして以来、コンテンポラリーなグルーヴにこだわり続けている。1995年に初来日し、娘のキャンディとともに日本で大ブレイク。豪快なテナー・サウンドが魅力。

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya

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