〜vol.1〜 ブラジル発の新星ブラック・ヴォイス、エレン・オレリア | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

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〜vol.1〜 ブラジル発の新星ブラック・ヴォイス、エレン・オレリア

〜vol.1〜 ブラジル発の新星ブラック・ヴォイス、エレン・オレリア

>> エレン・オレリア インタビュー 〜VOL.2〜

癒しの歌声で国中の喝采を浴びた
ブラジル現代のシンデレラ・ガール
エレン・オレリアのインタビュー 〜VOL.1〜

(本インタビューは世界の音楽情報誌「月刊ラティーナ」2015年9月号に掲載されたものです)

 ブラジルのシーンに新たに登場した黒人歌手として、エレン・オレリアは人々の期待を背負う。ファンク、サンバ、ソウル、ボサノヴァ、ヒップホップなどを織り交ぜるそのオリジナルな声と表現は、この人種の生まれながらにしての〝ジンガ〟とポテンシャルの高さを魅せる。

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 大手テレビ局グローボで2012年に放映されたオーディンション番組「ザ・ヴォイス」で誰もが納得のトップの座を勝ち取り、ユニバーサル・ミュージックより最初のメジャーアルバムをリリースした。収録曲には、オリジナル曲を含め、アルセウ・ヴァレンサの「アヌンシアサォン」、ミルトンとフェレナンド・ブランチの「マリア、マリア」、ジョルジ・ベン・ジョールの「ズンビ」や「タジ・マハル」などのヒット曲なども入っている。

 エルザ・ソアレス、アルシオーニ、サンドラ・ヂ・サーなどの偉大な黒人女性歌手たちを継ぐブラジルのニューヴォイスとして注目され、プレッシャーも大きかったという。10月の初来日公演を前に、音楽活動をはじめたきっかけ、有名になった後の変化、ブラジルの様々な地方の伝統的なリズムに近代的なアレンジを施した自身の新しいプロジェクト「アフロフトゥリスタ」についてラティーナに語ってくれた。

ーー音楽とのファーストコンタクトはいつでしたか?

 父はサンフォーナ奏者で、家では兄弟みんな音楽を聴いて、楽器を弾いて育ちました。毎週日曜日、イネジタ・バホーゾの番組(注:34年にわたり日曜日の朝、ブラジルのお茶の間に田舎音楽を届けた名物番組)を見た後は、父が家族のために楽器を弾いて聴かせてくれました。父とは、9歳まで一緒に暮らしましたが、とにかく音楽が鳴り止むことのない家でした。その後兄がギター、カヴァキーニョ、パーカッションを友人たちと弾くようになって、やがて、私と妹にも教えてくれるようになりました。

ーープロをめざそうと思ったのはいつだったのですか?

 16歳の頃だったと思います。 兄妹たちとバンド演奏をしようということになって、そのために書類が必要になり、ブラジルの音楽家としての証明証を取得しました。そのときにプロとしてやっていきたいとはっきり意識しました。それが、すべての始まりだったように思います。

ーーあなたの音楽的形成は何に依るものですか?

 すべて独学です。知識は、父のレコードなど家にあったいろいろな資料を掘り出して、聴いたり、調べたり、さらに音楽家としての経験のある友人たちを観察して得たものです。それと、バプテスト教会に通った時期に、たくさんの楽器に触れるチャンスがありました。ドラムをたたいて、ギターを弾いて、歌いました。教会は、さまざまな楽器と出会うチャンスを与えてくれました。学校で習った唯一の楽器は、今は全然演奏することがなくなってしまいましたが、クラリネットです(笑)。

ーープロになるまでのあいだで、自分の才能に気づいたのはいつだったのですか?

 それは、周囲のたくさんの人に褒めてもらえたからでしょうか(笑)歌というのは、とても不思議な何かがあります。賞状のような証明書を提示する必要はいままで一度もありませんでした。私を包み込んでくれた音楽を、今度は私が包み返した。そんなことを通して、自分に信頼と確信がもてるようになりました。私は自分が進む道に迷いがなく、自信があります。音楽をつくるために、音楽に包みこまれるために自分の時間をたくさんを費やしてきたし、そうこうやっているうちに事が起きていた感じでした。







ーーテレビ番組の「ザ・ヴォイス」以前にすでに13年のキャリアがありましたね。なぜ、番組に参加しようと思ったのですか?

 10年道を歩んでいたからといって、目的地に到着していたわけではありません。音楽において、目的地よりも重要なことは、目的地までたどり着くその道のりなのだと思います。ブラジルの人は、すごくテレビを見ます。「アーティストは人がいるところに自らアプローチしなければならない」とミルトン・ナシメントが言うように、多くの人が視聴する番組出演の機会が訪れたとき、チャンスが来たとほっとしました。私が信頼する周囲の人たちにも相談をして、大勢の人に私の音楽を届けられるこのチャンスにかけてみようと決めたのです。

ーーいい経験でしたか?

 そのプロジェクトは、その意味においてはとても成功したと言えます。可能性を広げられたことがとても嬉しかったし、番組のなかでこんなにも自分が飛躍できたことに驚きさえ感じます。番組で歌うたびに、何百万という人たちが私の歌を聴いてくれて、それはアーティスト人生にとって、ものすごく強力で革命的なことでした。

ーー優勝して人生は変わりましたか?

 変わりました。私たちが行うことは身体に刻まれます。番組に参加して、それは確かに私の人生に何かを刻みました。あれだけ多くの時間大勢の前に露出したことは、何も感じずにはいられないことです。テレビで大勢に印象を与えることができて、街を歩いて人々に気付かれるようになりました。それはいろいろな生活習慣を劇的に変えるきっかけにもなりました。

ーー具体的に何が変わったのですか?

 食生活を見直してビーガン(最上級の菜食主義者)になりました。身体をいたわり、体調管理にいままで以上に気を遣うようになりました。とても調子がいいです。さらに私生活を大切にし、外出を減らし、家で過ごす時間が増えました。しばらくそれで、自分の一面を失った気もしましたが、時間の経過とともにバランスの取り方がわかってきて、いまは落ち着いています。

ーーあなたの声は何と言ってもあなたの一番特徴ですね。あなたの歌に影響を与えた女性歌手は誰ですか?

 本当にいろいろな音楽を聴いてきました。なかでも、エリカ・バドゥ、ホイットニー・ヒューストン、ビヨンセ、ニナ・シモンは自ら進んで聴きます。それから、ジョヴェリナ・ペーロラ・ネグラ、クレメンチーナ・ヂ・ジェズス、ドナ・イヴォネ・ララのサンバが大好き。さらにレニー・アンドラーデ、ジョイス、そして私の心を鷲掴みにするのはエリス・レジーナなどのMPBのミューズたち。あとは、ものすごく前衛的な作品をつくるビョークのようなクレイジーな女性たち。みんな、なんらかの形で美しく私に影響しています。

ーーエルザ・ソアレスや、アルシオーニ、サンドラ・ヂ・サーなどのブラジルの歴史に名を刻む女性歌手たちとともに紹介されるのはどんな気分ですか?

 レッテルを貼られることがとても怖かったこともあります。でも、別の見方をすれば、それがしるしとなって、人々を魅きつけ、人々と自分を隔てるものを取り払うのを手伝ってくれるとも言えます。ブラジル人だと言えば、ブラジルの先人たちが築いてきた印象を、自分にも当てはめることになる。そのイメージによってそのまま私が表されるわけではないけれど、私のアイデンティティや、アーティスト性がそのイメージによって一部形成されることになります。ブラジル音楽のこんなに多彩な世界を成す構成員の一人なれたことはとてもうれしいですし、同時に責任の重さを感じます。先にあがった女性たちは皆すごく強力で、彼女たちの時代とそして今現在にも名を刻む人たちですから。今度は私もそれに価する仕事をしなければいけないと感じます。

ーー自分の音楽が彼女たちの音楽とも共鳴していると思いますか?

 そうであってほしいです。私の創作が、彼女たちの作品ともリンクし、その絆が常に生きていくことを願います。彼女たちは、ブラジル中にちらばる私の鏡でもありますから。












interview = Diego Muniz


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