[インタビュー|OFFSTAGE]シェウン・クティ | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

News & Features

[インタビュー|OFFSTAGE]シェウン・クティ

[インタビュー|OFFSTAGE]シェウン・クティ

抑圧されている原住民のために僕は歌う。

 ナイジェリアの音楽一族で育ったシェウン・クティは生まれた土地から遠く離れて暮らさざるを得ない人たちの癒しのためのパフォーマンスを激しく続ける。

READ MORE

 猛烈に暑かった2018年夏。その7月の終わりから8月の初めに3日間6公演行われたナイジェリアのミュージシャン、シェウン・クティのショウは、熱帯夜の東京をさらに暑くさせた。

「ブルーノート東京のショウの1曲目は、リスペクトをこめて、父の「KUKU KEE ME」を演奏した」シェウンの父は"アフロビートの父"として知られる伝説のミュージシャン、フェラ・クティだ。

「そして2曲目からは僕の新しいアルバムの曲を中心にやった。親の実績の上に胡坐をかきたくないからね。どんどん新しい音楽にチャレンジしていきたい。アフリカの音楽はコンガでリズムを組み立てる。パーカッションは人間の心臓の鼓動と連動するから、プリミティヴなサウンドに聴こえるかもしれない。音楽の源泉はアフリカの大地から生まれているけれど、サウンドは新しい洗練された響きだと思う」

 父親のDNAを引き継いでいる音楽だと見られることには、少なからず抵抗があるらしい。

「確かに父は偉大なミュージシャンかもしれない。でも、僕の体には父だけではなく、たくさんのアフリカの音楽家たちの血が流れている。曽祖父のJ.J.ランソン・クティは西アフリカで初めて自分の音楽を録音したゴスペルのミュージシャンだと聞いている。祖父のI.O.ランソン・クティは作曲家だった。讃美歌を100曲以上つくっていた。その流れに父がいて、僕がいる。音楽のDNAは何世代も前から脈々と引き継がれているものなんだ」

 アフリカの音楽をライヴパフォーマンスで世界中に広げることにアイデンティティを感じている。

「世界各国で、原住民が抑圧されている。先祖からずっと住んでいる土地から別の場所へ移され本来の生活様式と違う暮らしを強いられているのが現実。そんな彼らへの癒しになる音楽を僕はやってきた。服や女やクルマについて歌うミュージシャンと同じだとは思わないでほしい」

 メッセージはライヴで、全身を使ってのパフォーマンスで伝えることを信条としている。

「ブルーノート東京は本来、ジャズクラブ。ふだんは僕たちのようなフィジカルを使ったアフロミュージックではなく、王道のジャズをやっていることは理解している。でも、僕は与えられたチャンス、与えられた環境で、最大限のパフォーマンスを行うだけ」

 ロンドンのロニー・スコッツでも、ニューヨークのブルーノートでも、スタイルを変えることなく自分たちの音楽をやってきた自負がある。

「ステージに上がるとね、かなりのお客さんがジャズを期待しているのがわかる。それでも躊躇せずに、僕はアフロミュージックをやる。最初はみんなとまどっているよ。でも、やがて客席はダンスフロアになってしまう。最後はパーティーさ。楽しんで、大騒ぎして帰っていく。ブルーノート東京でも同じだよ。昨夜のお客さんも次々とジャズのしきたりを破って踊り始めた。おおー、日本人が踊ってるぞ! と、ステージで歌う僕はうれしくてたまらなかった」

200interview_img01.jpg

Photo by Tsuneo Koga

SEUN KUTI & EGYPT 80
2018 7.31 - 8.2
SEUN KUTI(シェウン・クティ)
1982年、ナイジェリア生まれ。アフロビートを築き上げたフェラ・クティの息子。腹違いの兄にはフェミ・クティ。父親が率いた"エジプト80"をバックに従えたアルバム『MANY THINGS』を発表。受け継がれたカリスマ性で熱狂的な支持を集める。

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya

RECOMMENDATION