[インタビュー|OFFSTAGE]エディ・パルミエリ | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

News & Features

[インタビュー|OFFSTAGE]エディ・パルミエリ

[インタビュー|OFFSTAGE]エディ・パルミエリ

ラテンの師は兄。ジャズはマッコイ・タイナー。

7月に4日間8公演、ブルーノート東京を盛り上げた
エディ・パルミエリ・サルサ・オルケスタ。
御年80歳。エディのルーツ、現在、そして未来のイメージは?

READ MORE

「パーカッションのようなピアノだね」

『PALMAS』と『ARETE』と『VORTEX』。エディ・パルミエリの3枚のアルバムをともに録音したアルト・サックス奏者のドナルド・ハリソンに言われていたそうだ。それを機にエディはティンバルスを叩き始め、さらにパーカシヴなピアノになった。

「今回のブルーノート東京のショウのオープニングはソロ演奏で、弦楽器としてのピアノの魅力を味わってもらった。ジャズだね。ステージにオルケスタを呼び込んでからは、打楽器としてのピアノを楽しんでもらえたと思う。ラテンだね。僕がもっとも大切にしているのはキューバ音楽。兄貴からピアノの手ほどきを受けたダンスミュージックだよ」

 プエルトリコ系アメリカ人を両親に持つエディの原点はキューバ音楽。そこには、自分のルーツであるだけでなく、強い使命感もある。

「まずことわっておくけれど、僕はSlave(奴隷)という言葉が好きではない。だから使わないよ。でね、アフリカ人が"Captive(囚われの身)"として、アメリカ大陸の土を踏んだ時、打楽器を奪われた。彼らを連れてきたスペイン人は、リズムによってコミュニケーションが生まれ、革命につながることを恐れたからだ。でも、カリブでは打楽器が許された。それで、キューバではダンスミュージックが発展したわけだよ。ところが、1959年のフィデル・カストロの革命で、英語の音楽が禁止されてしまった」

 今では、カストロ以前のキューバの音楽を演奏するミュージシャンは少なくなっている。

「僕はトラディショナルなキューバ音楽をもっともっと伝えたい。Captiveである自分の苦しみを忘れさせてくれて、同時に人々を楽しませることができる音楽だからね。それで、オルケスタとともにこうして世界中をまわっているんだ」

 子どものころからキューバ音楽一筋だったエディは、長い間ジャズに魅力を感じなかったそうだ。

「ジャズのどこがおもしろいのか、まったくわからなかった。ところが、1960年代のある夜を境にジャズの魅力に取りつかれた。マンハッタンにあったパラディアム・ボールルームというクラブで、ジョン・コルトレーンのカルテットのショウを観たんだ。ピアノのマッコイ・タイナーが20分くらいソロを弾いてね。彼の左手のタッチは、僕がそれまでに見たことも聴いたこともないレベルだった。この人についていこう! そう決めたんだ。それから、僕のピアノの中にジャズの要素が加わったんだ」

 さて、今回の来日公演はエディの80歳を祝うステージでもあった。

「僕のキャリアはまだまだ続く。母親は99歳まで生きた。娘には100歳までは生きる! と宣言しているんだ。100になったら、一度引退する。そして12年間ピアノを勉強し直す。そして112歳で復帰する。それが僕のプランだ。今はマンハッタンの112丁目に住んでいるんだ。僕の112歳のイメージは、今よりもずっとうまいピアニストになっている」

live photo

Photo by Great The Kabukicho

EDDIE PALMIERI SALSA ORCHESTRA
2017 7.10 mon., 7.11 tue., 7.12 wed., 7.13 thu.

photography = Hiroyuki Matsukage interview & text = Kazunori Kodate interpretation = Kazumi Someya

RECOMMENDATION