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[インタビュー|OFFSTAGE]ハーヴィー・メイソン

[インタビュー|OFFSTAGE]ハーヴィー・メイソン

10代のジャズクラブ体験がドラマーとしての原点。

 カメレオン・バンドを率いて10月に来日したドラマー、ハーヴィー・メイソンは、かつてロイ・ヘインズらに教わった技術やハートを次世代のミュージシャンに伝える。

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「僕が日本に来るのは100回目くらいかな。いや、もっと、150回かもしれない。50年近く、毎年、しかも1年に何度も来ているからね」

 ハーヴィー・メイソンの初来日は1973年だった。

「キャロル・キングのバンドで来日した。ギターはデヴィッド・T・ウォーカー、ベースはキャロルの2人目の夫のチャールズ・ラーキー。2度目の来日は1974年。渡辺貞夫さんのツアーだった。1か月くらい日本中をまわった。貞夫さんとは食事をしたり、ゴルフに連れて行ってもらったり、楽しかったよ」

 その後、サイドマンとして、フォープレイのメンバーとして、リーダーとして、日本を訪れている。この10月の来日は、若いミュージシャンを集めた自らが率いるカメレオン・バンドでの公演だった。

「若いメンバーの音楽への集中力は素晴らしい。彼らからはパッションをもらっているよ。お返しに、僕は自分のさまざまな経験を言葉や音で伝えている。ブルーノート東京の前は、北京公演だった。オフの日にはメンバー全員で万里の長城へ登ってきたよ。プライベートの時間を共有することによって、おたがいの信頼が増し、明らかに音楽のクオリティを高める。若いミュージシャンの場合は特にね」

 ハーヴィー自身、若いころは、先輩のミュージシャンたちの手ほどきを受けてきた。

「僕が初めてドラムを叩いたのは7歳のとき。最初はスネアだけで、少しずつ太鼓の数を増やしていった。初めてギャラをもらったのは13歳。ジュニア・ハイスクールのときに僕の地元、ニュージャージーのアトランティックシティのフェスで、大人のバンドに入れてもらった。まだ自分のドラムセットがなくてね。スネア、バスドラム、シンバル......それぞれを借りて、寄せ集めのセットを叩いたんだ」

 ハイスクールに入るとジャズクラブにも出演した。

「母親の同級生が経営するワンダー・ガーデンというクラブに通っていた。未成年だったけど、特別に許可をもらったんだ。ハウスバンドのメンバーとして演奏させてもらったり、店のドラムセットで練習させてもらったり。バーカウンターには近づくな! と厳しく言われたよ。マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクも出演する、アトランティックシティではなかなか名門の店でね。一級の演奏を近くで聴けたことが、その後のキャリアに役立っている」

 ハーヴィーに直接教えてくれるドラマーもいた。

「ランディ・ガレスピーやロイ・ヘインズは、ドラマーとしての基本を教えてくれた。ランディは今、ミシガン州立大学で音楽を教えている。彼に招かれて僕もときどき臨時講師をやっているよ。ロイ・ヘインズは、ビリー・ハートを紹介してくれた。そのビリーの紹介で、ハービー・ハンコックの仕事をもらったんだ。ハービーの代表作の1つ、『ヘッド・ハンターズ』だよ。ワンダー・ガーデンにはさまざまなミュージシャンが訪れたから、さまざまな音楽を学んだ。だから僕は、ジャズも、R&Bも、ファンクも、ロックも、映画音楽も演奏している」

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Photo by Takuo Sato

HARVEY MASON "CHAMELEON"
featuring MARK de CLIVE-LOWE,
HAILEY NISWANGER,
OMAR DOMINICK & ERIC DAWKINS
2019 10.16 - 10.18
HARVEY MASON
(ハーヴィー・メイソン)
1947年、ニュージャージー州生まれ。バークリ-音楽大学卒業後、70年にプロデビューし、ハービー・ハンコックの"ヘッド・ハンターズ"などに参加。音楽プロデューサーの顔も持ち、91年にはフォープレイを結成し、以来毎年来日している。

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya

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