スペシャル対談、ルー・ドナルドソンの魅力 | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

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スペシャル対談、ルー・ドナルドソンの魅力

スペシャル対談、ルー・ドナルドソンの魅力

<ルー・ドナルドソン公演 延期のお知らせ>

7月4 日(土)から6 日(月 )まで行なわれる予定でしたルー・ドナルドソン公演は、体調不良により公演を延期することとなりました。 公演を心待ちにされていた皆様には深くお詫び申し上げます。 またルー・ドナルドソン氏の1日も早い回復を心よりお祈り申し上げます。

ルー・ドナルドソン氏から日本のファンの皆様にメッセージが届いております。

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My Very Dear Japanese Fans,

It is has always been very important and deeply moving to me that my music has been so passionately and knowledgeably appreciated and received for so many years in Japan, which has one of the greatest jazz audiences anywhere in the entire world.

Therefore, it has been extremely saddening and disappointing to me that because of medical and health safety reasons I had to postpone my July Farewell Tour of Japan at the Cotton Club and Blue Note Tokyo for early July.

As most of you surely know, I am now 88 years old, and am looking forward to celebrating my 89th Birthday on November 1st, and when a person of my age gets a sudden and serious infection and blockage of the ear canals (eustachian tubes), like I am currently going through, it can be a very frightening experience; it can make hearing and even your walking balance quite a bit more difficult. We have to make absolutely sure that this clogging and infection have been totally cleared up by both by antibiotics and very careful attention, so that I can definitely come back to Japan for this farewell tour later this summer in total safety and comfort for all concerned.

I deeply appreciate all the kindness and support that the Blue Note Tokyo, Cotton Club and all my great fans in Japan have shown me for so long, and I look forward with all my heart and soul to seeing you all for my Farewell Tour concerts in your beautiful country.

All my love and respect always. Keep swingin', Lou Donaldson

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親愛なる日本のファンの皆さま

世界有数のジャズ愛好家がいる日本で、長年に渡って私の音楽が熱心に、そして深い理解をもって鑑賞されていることは私にとって常にとても重要であり、深く心を揺さぶられています。

それがゆえに、7月はじめにブルーノート東京とコットンクラブで行なう予定だった公演を、健康上大事をとるために延期することになったことを、とても悲しく、残念に思います。

ご存知と思いますが、私は今88歳で、11月1日に89歳の誕生日を祝うことを楽しみにしています。私のような年齢の者にとっては、突然感染症にかかり、外耳(耳管)が閉塞してしまうこと-今まさにその状態なのですが-は、とても恐ろしい経験になり得るのです。場合によっては聴力が落ちたり、歩行バランスを取りにくくなってしまう可能性もあります。今夏以降、あらゆる心配事を取り除いて、フェアウェルツアーのために日本へ確実に戻って来られるよう、今は、抗生物質での治療や細心の注意をもって、感染症と外耳の閉塞を完全に治すことが重要なのです。

日本の素晴らしいファンの皆さま、ブルーノート東京とコットンクラブの私に対する思いやりやサポートに、深く感謝しています。美しい日本でまた皆さんとお会いできることを心から楽しみにしています。

愛と尊敬をこめて キープ・スウィンギン、 ルー・ドナルドソン

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新たな公演の日程については、決定次第ブルーノート東京HP、facebook、twitter、メールマガジン等でご案内いたします。

※本公演をご予約いただいていたお客様には順次メール、電話でご連絡を差し上げます。
※インターネット予約で事前にミュージック・チャージ/シート・チャージのクレジット決済がお済みのお客様には、返金の手続きをさせていただきます。ご不明の点がある場合は、お電話にてお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
CALL:03-5485-0088

2015年6月19 日
ブルーノート東京

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"FAREWELL TOUR"
LOU DONALDSON QUARTET

2015 4.17 fri. - 4.20 mon.7.2 thu. _ 7.3 fri. COTTON CLUB ※追加公演
伝説的サックス・プレイヤー
最後の来日公演

(( スペシャル対談:行方均×ラズウェル細木 ))

 ブルーノートレコードを代表する存在として知られる"生きる伝説"ルー・ドナルドソンが引退宣言、最後の来日公演に臨む。今回は日本でブルーノートレーベルに深く関わって来たプロデューサー/音楽評論家の行方均氏と、人気漫画『酒のほそ道』や『う』の作者であり、ジャズマンガも手がけるラズウェル細木氏とともに、その輝かしいキャリアを振り返る。

ー ルー・ドナルドソンは1926年11月1日生まれで現在88歳。来日公演は今回が最後と発表されました。年齢などを考えた上での判断だそうです。どんな感想をお持ちでしょうか?

行方 26年ということはマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンと同い年なんですね。米寿だね。「ブラック・ブラウン・アンド・べージュ」というデューク・エリントンの曲がありますけれど、ベージュは黒人ジャズ・ミュージシャンが引退するのにいい年なんじゃないですか(笑)。

細木 いくら元気とはいえ、年齢を考えるとね、いつかは止めなくてはいけない。そういう感じなんでしょうかね。

行方 このところずっと日本人オルガン奏者の敦賀明子さんが入るレギュラー・バンドで活動していて、時折ドクター・ロニー・スミスが入るオールスター・バンドをやっているよね。

細木 ブルーノートの1500番台の時代(1950年代)からレギュラー・バンドを持ってたんですよね。

行方 ピアノのハーマン・フォスターのいるバンドですね。

細木 アルバムでは57年の『ウェイリング・ウィズ・ルー』に入っているのが最初でしょうか。フォスターとは長い付き合いになる。

行方 一度離れるけれども、80年代に再びルーのバンドに入ったね。

ー フォスターの後、ホレス・パーランらと数枚録音したあとオルガンと共演します。

行方 ルーはハードバップのコンボにコンガとオルガンを定着させた。ハードバップはビバップの進化、発展形と言われるけれど、ビバップの大衆化、ソウル化、ある意味単純化されたものでもあるんですね。ハードバップの誕生といわれるアート・ブレイキーのアルバム『バードランドの夜』に入っているのもルー。コンガやオルガンを使ってそのハードバップの大衆化に貢献したのもルーだよね。

細木 最初のコンガ入りのアルバムが57年の『スイング・アンド・ソウル』。この時点でソウルという言葉が使われています。

行方 ジャズ・レコードにソウルという言葉を使った最初のアルバムなのだそうです。ルーと一緒にこのアルバムを命名したに違いないアルフレッド・ライオン(ブルーノートの創立者/制作者)によれば。

細木 このアルバムは1500番台の中では異質という印象を受けます。後のオルガン入りのジャズに通じるような内容で、純粋ハードバップではないものがある。

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Photograph by Francis Wolff © Mosaic Images LLC

伝説のクラブ、バードランドでのライヴ。クリフォード・ブラウン、アート・ブレイキー等、錚々たる顔触れのジャズ・ミュージシャンと。

行方 新派の始まりですね。初めてオルガンを入れた61年の『ヒア・ティズ』に通じています。世の中がソウル・ジャズと騒いでいるから、おれが本物を聴かせてやるとライナーノーツで言っています。ルーの「ソウル・ジャズ宣言」。

細木 オルガンはベイビー・フェイス・ウィレット。その後いろんなオルガニストと共演します。

行方 ルーの音楽は常に大衆性とともにあるわけだけれども、あの時代、一方でジャズは大衆から離れて無調の方向、フリー・ジャズへと進んでいく。

細木 ありきたりにやってはつまらないというのがジャズですからね。

行方 ルーはフリー・ジャズが大嫌いでね。それはただで(フリーで)やるジャズのことか、とか言っていた(笑)。

ー その後、67年に『アリゲーター・ブーガルー』という大ヒットが生まれます。

細木 あれは相当金が儲かったと本人が言っていたそうですね。ジャケットもサイケでかっこいい。モデルさんもきれいですね。

行方 ペギー・モフィットという当時大人気のモデルですね。あの曲の大ヒットのおかげで今もおねーちゃんと遊んで暮らせると言っていたこともある。日本ではハプニングス・フォーというグループサウンズがカバーして、日本語の歌詞をのせて歌っていたの知ってますか?

細木 日本のジャズ・ファンはどんな反応だったんでしょうね。

行方 当時はジョン・コルトレーンが絶対的な影響力を誇っていて、シリアスなジャズが主流だった。踊れたらジャズではないという時代でね。ブーガルーってそもそもラテン系のダンス音楽ですからね。

細木 ジャズ喫茶で腕組みしながら聴く音楽ではないですね。

行方 ジャズ喫茶に置いてあったのかな『アリゲーター・ブーガルー』。ジャズ喫茶はオルガンも嫌いだった。ジャズ雑誌や評論家からもコンガやオルガンが黙殺されていた時代が日本では長かったと思いますね。

細木 ずいぶん時代は変わりましたね。

行方 ラズウェルと初めて会った時すごく新鮮だったのは、そういう先入観をまったく持たずにオルガンやルーを聴いてたことだな。

細木 世代的にクロスオーバー(後のフュージョン)から入って、そこから時代を遡って聴いたので、フリーもオルガンも抵抗なく聴きましたね。

行方 フリー系のラズウェル・ラッドから名前を付けたくらいだからね。アーチー・シェップなんかも好きだよね。その一方で、オルガンが好きでルーベン・ウィルソンも大好きというから、最初はマンガ家のギャグかと思った。

細木 フリーでもオルガンでもいいものはいいという感覚でしょうか。

行方 ニューヨークで見に行ったルーのライブをマンガにしていたよね(「ときめきJAZZタイム」)。そのピアノがハーマン・フォスターだったんでしょう。

細木 ウエストエンド・カフェのライブですね。

行方 マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル(1986年~)の前だったかな。

細木 80年代の半ば頃ですね。その後新宿ピットインにも来た。その時もピアノがフォスターだったんですけれど、楽屋にたずねて行って、「ときめきJAZZタイム」を渡したんですよ。フォスターにもね、盲目で読めないんですけれどね。

行方 ラズウェルの描くルーは実にルーらしくていいよね。とぼけた感じが絶妙で、本人よりルーらしい(笑)。

細木 描きやすいんですよ。50年代からの写真を見ているとあんま変わんない人ですね。

行方 形もキャラっぽい。ジャズメンの中では極めてフィギュアになりやすそうなひとりです(笑)。

ー 日本のジャズ界がマイルス・デイビス、ウイントン・マルサリスなどで盛り上がっている頃にオルガンだ、ルーだと主張するラズウェルさんの存在は際だっていました。アシッド・ジャズが日本で話題になるより以前の話ですからね。

 

最後の公演ということで、ルーの最初のLPレコード、10インチ盤『クインテット&カルテット』(1952)を手に振り返る。内容は『カルテット、クインテット、セクステット』(日本盤はユニバーサル ミュージック)に収録。

行方 1985年にブルーノートが復活して世界的にブルーノートのレコードが再発されて、それにロンドンのDJが飛びついたんだよね。ジャズで踊るロンドンのクラブ・ムーブメントがあって、そこからジャズに対する見方がガラリと変わりました。そんな中でルーはほんとに復権したんだと思います。

細木 来日するたびに盛り上がるようになりましたね。

行方 93年にバーナード・パーディが中心のバンドで来日した時には、ルーはもうクラブ・ミュージック界のスターでしたね。

 

1958年の『ライト・フット』は、録音し直す場面等のレコーディング中の会話まで収められており、ルーの人柄や黒人ジャズのソウルまで感じられる愛聴盤。(日本盤はユニバーサル ミュージック)

細木 ファン層はさまざまでも、音色も演奏もルーのアルトそのものは変わっていない。

行方 マイルス・デイビスと同じでやってることは同じだけど背景が変わる。ルーのアルトって、ソウルフルだけれど土臭くなく、洗練されている。だからある意味背景を選びません。

ー 最後の来日公演には何を期待しますか。

行方 「ブルース・ウォーク」「アリゲーター・ブーガルー」などの代表曲をやってくれると思います。半世紀近く演奏されてきた曲ですからね。パノラマのようにそこに流れるルーの歴史を感じとりたい。

細木 1940年代、50年代のジャズと同じ音を耳にできるというのは喜びですね。

行方 ルーはいい感じで歌も歌う。最近だと「ウイスキー・ドリンキン・ウーマン」。アルトの休憩代わりに歌えるから年取っても楽だ、とかも言っていました。

細木 あの甲高い声のナレーションや歌も楽しみにしたいです。歌で休憩するのも見逃さない(笑)。





❶『アリゲイター・ブーガルー』1967 ❷『カルテット,クインテット,セクステット』1952 ❸『ウェイリング・ウィズ・ルー』1957 ❹『スイング・アンド・ソウル』1957;『ルー・テイクス・オフ』1957

行方均(なめかた・ひとし)
レコード・プロデューサー、音楽評論家。ブルーノート及びその姉妹レーベル"サムシン・エルス"を通じ、数多くの作品を国内外に送る。ブルーノート関係の編著書も多数ある。最近の訳書に元アルフレッド・ライオン夫人の自伝『ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク』(DU BOOKS)。

ラズウェル細木(ラズウェル・ほそき)
漫画家。代表作「酒のほそ道」などで手塚治虫文化賞短編賞を受賞。酒とつまみに関する作品を多く手がける他、『ときめきJAZZタイム』(ジャズ批評社)、『はじめてのジャズ教室』(DU BOOKS)等、ジャズへの造詣も深い。ルーへの想い入れも強く著作の表紙にも登場する。

高井信成(たかい・のぶまさ)
音楽ライター/ジャズ誌、エンターテインメント誌の編集者を経て、1995年頃からフリーランスとして活動。!-- /Auther's Area (Add Info 1) -->

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