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心ときめくバレンタイン・シーズン。ピーボ・ブライソンの愛に溢れた歌声が再びクラブに響き渡る。しかも今回は、あの全米No.1ヒット「ホール・ニュー・ワールド」のデュエット・パートナーであるレジーナ・ベルをスペシャル・ゲストに迎えての登場だ。’70 年代からステージに立ち、ソロ活動と並行してロバータ・フラックとの「愛のセレブレイション」やセリーヌ・ディオンとの「美女と野獣」等のデュエットでファンを魅了してきたピーボ。’80年代のR&B界に彗星のごとく現れ、近年はゴスペルやジャズ・スタンダードにも新境地を示しているレジーナ。ふたりの情熱的なパフォーマンスは、すべてのオーディエンスを飛び切り温かな気持ちにしてくれるはずだ。
●ピーボ・ブライソンは、1951年4月13日、サウス・キャロライナ州グリーンヴィルの敬虔なクリスチャン家に生まれる。熱心な音楽ファンだった母親の影響で、幼い頃からドリフターズ、チャック・ベリー、ビリー・エクスタインなど、ジャズやソウル系ミュージシャンのステージやレコードに触れて育った。10代中盤にヴォーカリストとしてバンド活動を始めると、地元のアマチュア・コンテストで優勝するなどして注目を集めた。’70年に2枚のシングルを発表するがヒットせず、活動拠点をジョージア州アトランタに移し、プロデューサー兼作曲家として過ごした。’76年8月に、発足したばかりのバレット・レコードからシングルを発表すると、新人としては異例の両面ヒットとなり、すぐさまファースト・アルバム『Peabo』をレコーディングし、鮮やかなアルバム・デビューを飾る。’77年には、ナタリー・コールの前座を務めるまでになり、その時のショウがキャピトル・レコードに認められ、ナタリーとのデュエット作『愛あるハーモニー』を制作。50万枚のセールスを上げゴールド・ディスクを獲得した。’80年代に入ってからも、ロバータ・フラックとの大作『ライヴ・アンド・モア』と『愛に生きて』で、〈面影にさようなら〉や〈愛のセレブレイション〉などのヒットを放ち、ソウル界の貴公子としての人気を不動のものに。さらに、’92年にはディズニー映画『美女と野獣』の音楽でアカデミー賞とグラミー2賞を獲得。翌’93年にもレジーナ・ベルと歌った同映画『アラジン』のテーマ・ソングで2年連続グラミーを獲得し、スーパー・スターの仲間入りを果たした。ナタリー・コールやロバータ・フラックのほか、セリーヌ・ディオンやレジーナ・ベルらスター歌手とのヒットが多いことから、「マスター・オブ・デュエット」とも呼ばれる。日本人アーティストとの交流にも熱心で、これまで杏里、中西圭三、本田美奈子とレコーディングしたほか、鈴木聖美のコンサートに客演するなどして、数々の名唱を残してきた。’99年に『アンコンディショナル・ラヴ』を発表後、クリスマス・アルバムを出したきりだったのが、’08年1月、待望8年ぶりとなる『ミッシング・ユー』(ユニバーサル ミュージック)をリリース。セット・リストをアップデートしたその後の当店公演では、ひときわゴージャスなショウを繰り広げてきた。来日するのは、’09年2月の当店公演以来約1年ぶりになるが、レジーナ・ベルとのデュオでやってくるのはこれが初めて。
●スペシャル・ゲストのレジーナ・ベルは、1963年7月17日、ニュージャージー州イングルウッド生まれ。祖父が主宰するバプティスト教会で幼い頃から歌い始め、8歳になるとソロで舞台に上がるまでに。高校では、トロンボーンやチューバなど器楽を学び、大学ではオペラを専攻。学内のジャズ・アンサンブル科で初めての女性リード歌手になった。プロ生活の第一歩は、地元で復活した名門ソウル・コーラス・グループ“マンハッタンズ”の紅一点として。すると、デュオで歌ったナンバーの反響により、大手コロムビア・レコードとの契約を射止めることに。’87年、『All By Myself』でデビューを飾ると、セカンド・アルバム『Stay With Me』がR&B/Hip Hopチャートのナンバー・ワンに。継いで、ピーボ・ブライソンとデュオで歌った〈ホール・ニュー・ワールド(アラジンのテーマ)〉が、’93年のグラミーに輝くことで第一線のトップに躍り出た。その波に乗って発表した『Passion』がプラチナ・セールスを記録。ソウル・ディーヴァの呼び名を欲しいままに’90年代を駆け抜けてきた。’01年6月は、ホワイト・ハウスに於ける「ブラック・ミュージック・マンス・セレブレイション」に出演。同年、ジャズ・フュージョン系のレーベルから出した『This Is Regina』が、ゴールド・セールスの大ヒット。’04年には、〈モーニン〉や〈フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン〉などのジャズ・スタンダーズを歌った『Lazy Afternoon』をリリースし、彩り深い歌唱になお磨きをかけてきた。最新作は、デビューして初めてになるゴスペル・アルバム『Love Forever Shines』(Pendulum/海外盤)で、GMA(ゴスペル・ミュージック・アソシエイション)主催のDOVE AWARDSにノミネート。起居するアトランタでの平生は、教会の神父夫人として聖職に携わる日々を過ごしている。
PEABO BRYSON with special guest REGINA BELLE
ピーボ・ブライソン・ウィズ・スペシャル・ゲスト・レジーナ・ベル
2010 1.27wed.-1.31sun.
Showtimes : 7:00 p.m. & 9:30 p.m.
※1.30sat.
1st Show : Open5:00p.m. Start6:00p.m.
2nd Show : Open8:00p.m. Start8:45p.m.
※1.31sun.
1st Show : Open2:00p.m. Start3:00p.m.
2nd Show : Open5:30p.m. Start6:30p.m.
★1.31sun.1stショウは20歳未満の方もご入場いただける
特別公演“Songs for Children with Peabo”を開催
Peabo Bryson(vo)
ピーボ・ブライソン(ヴォーカル)
Regina Belle(vo)
レジーナ・ベル(ヴォーカル)
Kristie White(back vo)
クリスティ・ホワイト(バック・ヴォーカル)
Kim Cage Riley(back vo)
キム・ケイジ・ライリー(バック・ヴォーカル)
Michael Hoskin(sax,per)
マイケル・ホスキン(サックス、パーカッション)
Diana Dentino(key)
ダイアナ・デンティーノ(キーボード)
Dave Iwataki(key)
デイヴ・イワタキ(キーボード)
Peter Graham(g)
ピーター・グラハム(ギター)
Dwight Watkins(b, vo)
ドゥワイト・ワトキンス(ベース、ヴォーカル)
Dwight Smith(ds)
ドゥワイト・スミス(ドラム)
¥8,400(税込)
※1.31sun.1stショウ“Songs for Children with Peabo”のみ
一般¥8,400(税込)/20歳未満¥4,200(税込)
ディズニー映画の主題歌として、またはデュエットの名曲として多くの人に愛されている「ホール・ニュー・ワールド」を歌っているのが、ピーボ・ブライソンとレジーナ・ベルだ。ソロ・シンガーとしてそれぞれキャリアを築くと同時に、このメガ・ヒットで世界的なシンガーとしての地位を確立した二人を、小雨が降るアトランタでキャッチ。ヴェテランらしい深みのある言葉が繰り返し飛び出した、スペシャル・インタヴューだ。
写真撮影のために用意されたマイクを手にすると、レジーナ・ベルがふざけてピーボ・ブライソンに歌いかけ始めた。ニコニコしながら、そのままア・カペラでデュエットをする二人。曲は、レオン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」。肩ならし程度の、軽い歌い方でも抜群に上手い。
二人ともアメリカのR&Bにおいて大ヴェテランだが、実はピーボの方がレジーナより一回りくらい年上である。そのせいか、友人でもあり、業界の先輩と後輩でもあり、という和やかな雰囲気が伝わって来る。
ソウル界随一のバラッディアであるピーボと、クワイエット・ストーム全盛期から活躍して来たレジーナが、2010年1月、ブルーノート東京に登場する。それぞれ来日経験が豊富な二人だが、揃ってステージを踏むのは珍しい。ピーボ・ブライソンは、ソロでのヒット曲も多い上、セリーヌ・ディオン(「ビューティー&ビースト」)やロバータ・フラック(「愛のセレブレイション」)などとデュエットの名曲を残している点で、ほかのヴェテラン・シンガーと一線を画している。レジーナ・ベルとのデュエットには、ディズニー映画『アラジン』のテーマ曲、「ホール・ニュー・ワールド」と「アイ・キャント・イマジン」がある。「ホール・ニュー・ワールド」で、二人はユ94年のグラミー賞で最優秀楽曲賞とポップス部門でデュオ/グループとして最優秀パフォーマンス賞を受賞。なぜ、彼のデュエット曲は多くの人の心をつかむのか、ピーボ自身に尋ねた。 「私はすぐに相手を大好きになるからじゃないかな。セリーヌ・ディオンやロバータ・フラックと一緒にいたら、誰だって彼女達を好きになってしまう。ナタリー・コールやチャカ・カーンと歌ったら、どうしたって崇拝の念が出てくるし。ナンシー・ウィルソンと歌ったら鳥肌が立つし、レジーナと歌ったら、どうしたって好きになってしまう」と自己分析。さらに、優れたデュエットを生み出す秘訣も、聞いてみた。 「デュエットもバラードも同じで、どこまで優美でいられるかが大切なんだ。デュエットでは相手を引き立て、決して競わない。強く出るのが弱点になる、と言ったらいいのかな。自信を持つべきところ、強調するべきところは、そのように歌うけれど。それから、歌詞も大事だ。私の意見では、歌は何かしら意味を持っているべきだと思う。自分が書いても書いていなくても、私の感情として響く内容でないと。自分が感じてないことは歌えないからね」 「ケミストリーが大事なのよ」とレジーナも、口を揃えた。「私は男女のデュエットが特に好き。男性からは自然に勇敢さが出て、女性からも自然にフェミニンになれるから。別にセクシーな意味だけでなく、柔らかな官能が醸し出されると思うのね。歌に秘められているロマンスやエモーションで、まるで恋愛関係を追体験しているみたいな気分になれるでしょう」
大ヒットした「ホール・ニュー・ワールド」だが、「私とレジーナは、数えるほどしかあのディズニーの曲を一緒に歌ったことがない」との意外な事実が、ピーボからの口から飛び出した。 「テレビ出演とか、特別な機会に歌ったくらいなんだよ。それぞれのショウで歌う時は、当然、違うアーティストが相手だし」と言ってから、「だから、今回のブルーノート東京でのショウはスペシャルなんだ」と締めた。
何度も日本を訪れているピーボは、日本語も少し話せる。その彼が、最初にブルーノート東京に出演したのは、1993年のこと。
「いつだったかは正確に覚えていないけれど、昔の建物だったはずだよ。それまでも優れたアーティストがたくさん出演した場所だから、その歴史の一部になったのは光栄に思った記憶がある」
ちょうど、ディズニーの主題歌で本国での人気がさらに上がっていたタイミングで、日本でも相当な話題になったとか。
「それ以前は大きなコンサート中心に来日していたから、(ブルーノート東京出演は)特別な感じがしただろうね。私自身も特別な用意をしたものだよ。日本の音楽業界の人はプロフェッショナルで仕事に対して完璧だから、来日をする度に特別ゲストとして迎えられている気がする。日本の観客からの反応も、ほかの土地とは全く違う。歌い終わるまで、あまり反応しないでしょう? 最初は、あまりに礼儀正しくて歌っている最中は楽しんでいるのか飽きられているのか分からなくて戸惑ったけれど、今は、みんな英語を話すより聞き取る方が得意なのも、よく音楽を知っていることも分かっている。私は、ショウの間に会話をたくさん挟むスタイルを取っているから、大事なフレーズは日本語で話す努力もしたよ。それから、ステージを降りて観客全員と握手したり、目を合わせたりすることにしている。そういう親しい関係を観客を築くのが好きなんだ。レジーナも同じだと思うな。私達はオールド・スクールだからね。プロ意識というのは、そういうものだと思っている」
ここで、レジーナもニッコリ微笑んで、頷いた。その彼女だが、体調の不良が原因で、'09年頭の来日をキャンセルしている。その理由を、改めて本人に聞いてみる。 「信じられない話だけど…バルバドスの旅行から帰って来たらひどい偏頭痛に悩まされて、すぐにドクターのところに行ったの。念のために検査を受けたところ、脳腫瘍があることが分かって。あれは、夫の言葉も助けにならないような、とても孤独な瞬間だったわね。専門医に診てもらったら、枝のように広がるタイプの腫瘍が子供の頃からあったことが発覚したんだけど、驚いたことに外に広がるかわりに中に戻っていたの」 8時間にも渡る大手術は、無事に成功。 「左耳の聴覚がおかしくなってしまったけれど、症状を考えたら奇跡的な快復で、神様に毎日感謝しているの」と話すレジーナ。確かに、彼女は1年以内に大病をしたとは思えないほど快活で元気そう。ピーボも「日頃の行いが良かったからだね」と、彼女を労った。
取材したのは、二人がそれぞれ居を構えるアトランタにある、ピーボのコンドミニアム。見事なシャンデリアが飾られたロビーから住人専用のバー・コーナー、噴水のある中庭まで、一流ホテルと見まがうセッティングで、ピーボ・ブライソンとレジーナ・ベルの収めた成功の大きさを端的に示していた。
それぞれ何枚もヒット・アルバムを持つが、やはり知名度が格段に上がったきっかけは、「ホール・ニュー・ワールド」だったと話す。
「ヒットした当時は、よく子供に私がプリンセス・ジャスミンだと間違えられたものよ(笑)。あの曲のヒットの後に、メイシーズ(ニューヨークの有名デパート)のパレードに参加した時、小さい子供からそのおばあさんにあたる世代まで、みんな私達を知っていたくらい」
とレジーナが当時を振り返れば、ピーボも「あの曲はディズニーのテーマ曲の中でももっとも人気があって、長いことベストセラーになっているんだ」と付け加えた。
グラミー賞受賞についての感想も、語ってくれた。
「グラミー賞は音楽界で最高の賞だから、持っているのと持っていないのでは、正直、大きな差がある。ノミネートされるだけでも光栄だけれど、実際に受賞しているとなると、後世に残るわけだから。自分の子供や孫にまで残せる功績なのよ」と、レジーナが言えば、ピーボも「ある時点、その年において、世界で最高の仕事をした、と認められたわけだからね」と受けた。
ともに偉業を達成した二人が、ふだんでも親しい友人同士であるのは、インタヴューの間、何度も二人の間で話が盛り上がったことからも伺える。「なんだかんだ一年に4、5回は会っているわね」と、レジーナ。「会ったら、タイムラグを全く感じないで、昨日も話したような会話になってしまうのよ」とも。
世界的に優れた歌い手として知られるピーボは、時々、ステージ上でギターもつま弾く。ギターのスキルは、「作曲家として、独学で身につけた」と話す。
「自分ではすばらしい弾き手とは思っていないけれど、自分の耳や心でつかんだ音を再現するくらいの腕はあるかな。弾きながら歌うのも好きなんだ。以前、ピアノを弾きながら歌うこともやっていたけれど、(ピアノの)用意が大変だから辞めた。電子ピアノだと、思うように伝わらないし。アコースティック・ギターはうまく伝わるような気がする。とくに、ブルーノート東京みたいに観客に教養があって、ミュージシャン・シップを理解してくれる場所で披露するのはとてもクールだよね」
一方、レジーナ・ベルと言えば、R&Bはもちろん、ゴスペルやジャズまで様々な要素を絡めて、幅広い歌い方ができるのは、ファンの間ではよく知られるところ。ニューヨーク州に隣接するニュージャージー州で生まれ育った彼女は、10代の頃から著名な先生について正規の音楽教育を受けて歌に磨きをかけ、チャンスを物にしたバックグラウンドを持つ。 「私が下の世代(の歌い手達)に常々伝えたいと思っているのは、自分のお気に入りの曲だけでなく、ほかのジャンルの音楽を聴く大切さなの。私はクラシック音楽だったら、声が入っていないインストの曲の方がずっと好きだったけれど、そこは自分を甘やかさずに、ヴォーカル入りのクラシックもジャズもいい先生についてきちんと勉強した。実は、どの音楽も繋がっているのが分かったのが良かったわ」と言う。 ビーボも、「『ホール・ニュー・ワールド』は、とても難しい曲なんだよ。それを、レジーナは誰の指導も受けずに軽々と歌ってのけたんだ」と、彼女の歌唱力について、保証した。
レジーナは元NBA選手のジョン・バトルと結婚、5人の子供に恵まれて幸せな家庭を築いている。旦那さんは今、神父として教会活動に力を入れており、レジーナがピーボに向かって、「ねぇ、いつ私達の教会に顔を出してくれるの?」と尋ねる一幕もあった。アトランタには、多くのR&Bシンガーが住んでいるが、レジーナのようにカップルで成功している例は珍しい。せっかくなので、恋愛と結婚を長持ちさせる秘訣を伝授してもらった。
「私と夫はもともと親友だったの。デートする前は、9年間もただの親しい友人で、私はほかの恋愛関係も含めて、何もかも話していたくらい(笑)。カップルで大事なのは、精神的にも一つになることじゃないかしら。私達は、結婚生活の18年間でいちども相手を罵ったり、取り返しのつかない言葉を言ったりしたことがない。彼を見る時、夫だけでなく、友達だと思っているから」
現在、婚約中のピーボも、全面的にレジーナの意見に賛成する。 「私も、ベスト・フレンドと結婚するのが一番いいと思っている。だって、結婚生活で困難な局面を迎えても、友達同士だったら友情を優先するだろ?私も今回を持って、最後の恋にするつもりだし。大事なのは、相手の存在意義。一緒にいることで、自分のうちにある苦しみが収まったり、楽しみが倍増したりするような…夫は失っても仕方ない、と思う時が来るかもしれないけれど、友達はやっぱり失いたくないものだから(笑)。そうだ、これを曲にしてもいいかもしれないね」と、二人して真剣な顔で頷き合っていた。
日本通のビーボに、来日中に楽しみにしていることを尋ねた。
「ブルーノート東京の角にあるケーキ屋さん(ヨックモック)に行って、プラダに行くのはもう習慣になっているね。そうだ、ヨージ・ヤマモトと、マサトモも必ず顔を出すよ」一方、撮影中にロベルト・カヴァリのワンピースを身に着けていたレジーナは、「日本では買い物しすぎないように、お店はなるべく見ないようにしている」と笑ってから、「そうそう、うどんヌードルは大好きね」と教えてくれた。
来日公演の内容も少しずつ相談しているらしい。
「私達のソロやデュエットでの代表曲だけでなく、今まで二人で歌ったことがないような曲、二人が好きだから、という理由で選んだ曲も歌うつもりだ。ブルーノート東京で歌う以上、スペシャルな夜にするつもりだよ」と、ピーボ。
続けて、「今回、私達を観にブルーノートに来てくれたら、奇跡的に再生したレジーナと、それを可能にした神様の力を目の当たりにすることになる。私にとっても、特別なステージになると思うよ。音楽以上の、友情や愛、私達ふたりの間の尊敬の念だけでなく、ブルーノート東京のお客さんに対する尊敬の念などをね。日本の人たちが私達の活動をそのまま受け入れてくれる自体、とてもすばらしいことだと思うから」
レジーナからのメッセージも伝えてこう。
「私は病気を克服して神様に与えられたチャンスを、日本のみんなに歌という形で届けられるのはとても嬉しく思っている。ピーボと世界規模でツアーする機会もやっと回って来たのは、本当にすばらしいことよね」
ピーボが欧米と日本のオーディエンスの反応の違いに戸惑ったように、レジーナは日本にはハグ(抱きしめ合う)の習慣がないのに戸惑ったと話す。
「初めて行った時から、日本の慣習に敬意を表して、ハグをしないで私もお辞儀をするようにしたのね。ところが、10年くらい前に行った時に、ファンの一人がハグしてくれて。すごくびっくりしたけれど、とても嬉しかった。だから、私に会ったら、恥ずかしがらずにハグして欲しいわ」
「私も、ステージから客席に降りて行くことでも知られているから、どのお客さんとも親密な時間を共有できるはずだ。私達二人で、最良で特別な時間を届けられると思う」とウィンクした。
ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベルの日本公演は、世界最高のデュエットに心酔する究極のエンターテインメントと、二人の温かな人柄に触れたり、与えられた人生へ感謝する気持ちを思い起こしたりするスピリチュアルな時間を同時に体験できるステージになりそう。友達でもパートナーでも、ぜひ大切な人を誘って、この体験を分かち合いたい。
※1.31sun.1stショウ、20歳未満(未就学児童を除く)の方を含むご予約は、
指定席、テーブル自由席ともにお電話でのみ承ります。
【未成年者ご入場に関しての注意事項】
※未就学児童のご入場は不可
※小・中学生のご入場に際しては、未成年3人に対し最低1人の成人引率者の
同伴をお願いします。
※酒類の販売に際し、身分証の提示をお願いすることもございます。
あらかじめご了承ください。
PEABO BRYSON
1951年サウス・キャロライナ州生まれ。N.コールやR.フラックとのデュオで脚光を浴び、映画『美女と野獣』や『アラジン』の音楽でアカデミー賞とグラミー賞を獲得。R.ベルやC.ディオンらの美声と華麗なハーモニーを描き出してきた。
REGINA BELLE
1963年ニュージャージー州生まれ。マンハッタンズに認められた後ソロデビュー。ソウル・ディーヴァの席をA.ベイカーと分け合った。'93年、ピーボと歌った<アラジンのテーマ>でグラミーを獲得。ジャズ系のセッションでも大活躍。