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「小さな願い」、「恋よさようなら」、「ウォーク・オン・バイ」等、数多くのビッグ・ヒットを放ち、USAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも参加。計5度のグラミー賞に輝くビッグ・スター、ディオンヌ・ワーウィックが奇跡の登場を果たす! '60年代前半からN.Y.の音楽シーンで活動し、名作曲家バート・バカラックとの出会いを経て'62年にソロ・デビュー。以来、常に米国エンタテインメント界のトップを歩んでいる。従姉妹のホイットニー・ヒューストン等、数々の後進に影響を与えた艶やかな歌声、スタイリッシュなステージをクラブ規模の会場で味わえる機会は世界的にも希少。ドレッシーな装いで、最高級のプレミアム・ライヴに酔いしれたい。
●1940年12月12日、ニュージャージー州イースト・オレンジ生まれ。音楽一家に育ち、幼い頃から地元の教会で歌い始める。母親、祖母、祖父らの胸を借りていくうち、ゴスペル・グループの“ドリンカー・シスターズ”と歌う厚遇も受け、10代でアポロ・シアターの舞台に立った。コネチカットのハート音楽大学に入ると、叔母のシシー・ヒューストン(ホイットニーの母親)や姉のディー・ディーらとバック・コーラスの仕事を始め、ダイナ・ワシントン、ブルック・ベントン、チャック・ジャクソンらの裏方で音楽界入り。“ドリフターズ”のレコーディングで歌った時、バート・バカラックと運命的出会いを果たす。ハル・デヴィッドとソングライティング・チームを組んだバカラックが、新曲と共に売り込んだのが奏功し、’63年に〈ドント・メイク・イット・オーヴァー〉でデビュー。好調なチャート・アクションを追い風にした〈ウォーク・オン・バイ〉と〈小さな願い〉の大ヒットで波に乗り、’68年の〈サンホセへの道〉でグラミーを初受賞。他方、バカラック&デヴィッド・コンビも、映画『明日に向かって撃て』の音楽で’69年にオスカーを初受賞。3人のチームワークを強くした〈もう二度と恋はしない〉で再びグラミーを獲得することで、スター歌手の道を歩み始めた。’70年代はそれに比べヒットの数が減るものの、“スピナーズ”と組んだ’74年の〈愛のめぐり遭い〉が初の全米ナンバーワンとなり、ミリオン・セラーを記録。’79年にアリスタ・レコードに移籍。バリー・マニロウのプロデュースによる『ディオンヌ』から〈涙の別れ道〉と〈デジャ・ヴュ〉が大ヒットし、その2曲でグラミーのポップ部門とR&B部門をダブル受賞。さらに、ジョニー・マティス、ビージーズのバリー・ギブ、ルーサー・ヴァンドロスらと組んでヒットを連発。ホストを務めたTVショウ『Solid Gold』も高視聴率を上げることで、バカラックとの連携なしでスター歌手の道を延ばした。それが期せずして’85年にバカラックと再会すると、エルトン・ジョン、グラディス・ナイト、ステイーヴィー・ワンダーと共演した〈愛のハーモニー〉で再度全米ナンバーワンを獲得。ウィ-・アー・ザ・ワールドへの参加やTVショウの再開などで、国民的人気歌手の光沢を一段と上げた。’90年代以降は少ないアルバム・リリースながら、『Sings Cole Porter』や『Aquarela Do Brazil』など功利抜きの創作に打ち込み、最近はアメリカとブラジルを行き来する私生活を送っている。最新作は、息子さんにプロデュースを任せるなどファミリーを動員した『Why We Sing』(Rhino/海外盤)。日本公演は’72年以来14回を数えるが、ジャズ・クラブに出演するのはこれが初めて。オフィシャル・サイトは「http://www.dionnewarwick.info/」。
DIONNE WARWICK
ディオンヌ・ワーウィック
2009 12/14mon.-12/16wed.
Showtime : Open6:00p.m. Start8:00p.m.
Dionne Warwick(vo)
ディオンヌ・ワーウィック(ヴォーカル)
David Elliott(vo)
デヴィッド・エリオット(ヴォーカル)
Rob Shrock(key)
ロバート・シュロック(キーボード)
Todd Hunter(key)
トッド・ハンター(キーボード)
Kathy Rubbicco(p)
キャシー・ルビッコ(ピアノ)
Ernest Tibb(b)
アーネスト・ティッブ(ベース)
Renato Brasa(per)
レナート・ブラサ(パーカッション)
¥24,150(税込)
歌手、女優として華やかな活動を続ける世界屈指の大エンタテイナー。ゴスペルからブラジル音楽まで幅広いレパートリーを持ち、とくにバート・バカラックの楽曲における歌唱には定評がある。「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム」等、数多くの栄誉に輝いている。